極悪最低のデマの仕掛け元は日顕宗一派 吹き飛んだ三大デマ事件 仕組まれた悪質な謀略を斬る〈3〉 裁判で断罪、すべての謀略は破綻 白山さん事件 札幌・仏見寺住職・藤原広行 地元テレビで嘘連発し、訴えられる 東村山事件 変節漢の売文屋・乙骨正生 初出版のデタラメ本でジャーナリスト失格 信平狂言事件 金と女に溺れた元都議・竜年光 女性問題の“常習犯”が狂言の片棒担ぐ *白山さん事件は「新潮敗訴」が確定* 学会を貶(おとし)めるために仕掛けられた、いわゆる「白山さん名誉毀損(きそん)事件」(平成六年)、「東村山事件」(平成七年)、そして「信平狂言訴訟事件」(平成八年)の悪質極まる三大デマ事件は、反人権誌の「週刊新潮」がデッチ上げたデマ記事が悪宣伝の主なキッカケとなっている。 だが、その背景には「週刊新潮」に嘘(うそ)を持ち込み、揚げ句にはその捏造(ねつぞう)記事の中にヌケヌケと登場し、嘘を塗り固めるデタラメ証言までして謀略に躍起(やっき)になった連中がいることを見逃してはならない。 嘘を買って社会にタレ流し、悪銭を懐(ふところ)にする「週刊新潮」も極悪なら、そんな極悪雑誌に嘘を売った連中も負けず劣らずの極悪である。 その極悪の仕掛け人たちは、言わずもがなの日顕宗坊主および法華講員、脱会・反逆者といった面々である。 まず「白山さん名誉毀損事件」――。 ここで暗躍(あんやく)した、札幌の日顕宗仏見寺住職・藤原広行と、その所属法華講員たちの狂奔(きょうほん)ぶりは、まさに常軌(じょうき)を逸(いっ)していた。 「大石寺『僧侶』を衝突死させた創価学会幹部」との大見出しで、交通事故の被害者である白山信之さんを、学会員であるということだけで、あたかも“殺人者”であるかのごとく仕立て上げた「週刊新潮」のデマ記事は、裁判において、すでに最高裁が新潮社側の上告を棄却(ききゃく)。百十万円の損害賠償支払いを命じ、白山さんの勝訴が確定している(平成十年三月二十六日)。 司法によって悪質なデマであると断罪された、この事件において、仏見寺の藤原一派らが企(くわだ)てた策謀は次のようなものだった。 白山さん事件が起こった当時、仏見寺法華講は、日顕宗の魔の手から哀(あわ)れな法華講を救おうという学会員の慈悲の対話・行動を逆手に取って、学会が、さも悪質な嫌がらせを続けているかのような印象を与えるとんでもない中傷を展開。 「週刊新潮」をはじめ一部低劣週刊誌にデマ情報を盛んに売り込んでいた。 そして交通事故死した大橋住職も、いつも尾行されており、あたかもその尾行が原因で事故にあったかのような全くの作り話まで吹聴(ふいちょう)したのである。 更にこの大嘘で、実際はスピード狂だった大橋住職が安全運転を厳守する人物であったかのように印象づけ、かつスピードを出し過ぎて対向車線にはみ出して事故にあったのは、何者かに尾行され煽(あお)られたからだと、何の根拠もなく邪推(じゃすい)。 極めつけは、その大橋住職がぶつかった相手が、たまたま学会の幹部だったから、あたかも故意にぶつけられたかのようにコジつけ、被害者を加害者にする大デッチ上げに血眼になったのだ。 当の仏見寺住職の藤原広行自身も、その周囲に「大橋住職は飛ばす人じゃないし、多分、カーチェイスみたいに追い立てられたのではないか」などと吹聴。 調子に乗った藤原は平成六年十一月、地元テレビに「亡くなった大橋さんと親しかった」という触れ込みで登場し、「大橋師の車を追いかけるようにして乗用車が二台、急発進していった」とまで証言している。 何より、藤原自身が住職仲間に自慢していたという話によると、大橋住職が衝突した相手が学会の地区部長であることなどを真っ先に調べ、マスコミに流したのが藤原であり、なんと藤原は「週刊新潮」の発売前のゲラ刷りまで入手していたという。 この藤原という坊主、ひと皮むけば、「僧侶の匂いを消す」と言ってはオーデコロンをたっぷり振りかけ、ベレー帽姿で夜の街・ススキノを徘徊( はいかい)しては「大学教授」などと偽(いつわ)って女性に言い寄ったほどの好色男。自分の寺の女性従業員に対して、レイプ未遂事件を起こしたことでも有名である。 一方の白山さんは、地元テレビに出演してデタラメ証言をした藤原を名誉毀損で提訴。現在、係争中であるが、最高裁によって断罪された「週刊新潮」のデマ記事のネタ元が藤原一派であることから、藤原は苦しい状態にあるといえよう。 *信平狂言は地裁で“門前払い”* 次に「信平狂言訴訟事件」――。 この狂言事件で暗躍(あんやく)したのが、やはり女に溺(おぼ)れて堕落(だらく)していった元都議・竜年光であった。 自分の不徳を省(かえり)みず、それを狂言の材料に使おうと言うのだから、この悪質さはまともな人間のなせる業ではない。 かのブラックジャーナリスト・内藤国夫が「被害者の会」の席上、次のように「信平狂言手記」の顛末(てんまつ)をポロリと明かしている( 平成八年三月十七日)。 「信平さん一人が思っても、『週刊新潮』の記事にはなっていないわけです。信平ご夫妻はどうしたかというと、まず竜年光さんに相談したわけです……」 要するに、信平夫婦は竜に泣きつき、「週刊新潮」に渡りをつけたというのだ。 そもそも竜年光といえば、都議時代から複数の愛人をつくっては、ただれた生活を送っていた女性問題の“常習犯”である。 竜はまた、平成四年八月、学会攻撃の軍資金として大石寺から一千万円を受け取るなど、金銭への貪欲(どんよく)な執着でも悪名高いが、こんな愚劣(ぐれつ)な男が信平の捏造スキャンダルの提灯(ちょうちん)持ちをしていたのである。とんだ猿芝居、見えすいたペテン劇ではないか。 この狂言手記の公表直後の記者会見には、竜も同席。司会は反学会ライターの乙骨正生が務めた。しかも会場の申し込み名義は、日顕宗関係者のものであった。 しかし、この「信平狂言訴訟事件」も、東京地裁が信子の請求を棄却し、学会側勝訴の判決が下されている(平成十年五月二十六日)。謀略(ぼうりゃく)のシナリオは司法の裁断によって、あえなく吹き飛んでしまったのである。 *東村山事件は警視庁、東京地検の捜査で決着済み* そして「東村山市議(当時)転落死事件」――。 この事件については、異例ともいえるほど慎重な捜査の結果、平成七年十二月二十二日には警視庁が、同九年四月十四日には東京地検が、とも に「事件性なし」「自殺」と断定しており、完全に決着がついている。 ここで暗躍したのは、反学会ライター・乙骨正生であった。 先に「信平狂言」の記者会見で司会を務めたことは指摘したが、この男、学会を中傷することでしか泡銭(あぶくぜに)を稼げない哀れな売文屋である。 乙骨正生は脱会者。というより、むしろ変節漢というほうが正しい。大学在学中から学会を中傷し始め、脱会するや、日顕から破門された僧侶グループ「正信会」の機関紙「継命」の編集長も務めた。あのペテン師・山崎正友とも密接なつながりがある。 この乙骨正生が反学会で交流を図っていたのが自殺した元女性市議であった。 平成七年六月、同市議の万引き事件が発覚すると、その事件さえもまるで学会の陰謀(いんぼう)であるといわんばかりに低劣週刊誌がデッチ上げ。 そして市議が転落死すると、その乙骨正生は、初出版の自著で市議の死にあたかも学会が関与しているかのように吹聴した。 だが、そのデタラメな内容によって、自らジャーナリストとして全く失格であることを天下に証明してしまった。 また「週刊新潮」は、市議の死に関して、最も早く根も葉もない学会中傷記事をセンセーショナルな大見出しで掲載するという反人権報道を繰り返したのだ。 学会本部は、これに対し、新潮社などを相手どって名誉毀損で提訴、現在、係争中である(平成九年八月二十七日)。 平成六・七・八年と連続した学会に対する「三大デマ事件」――その背景には、このように、いずれも日顕宗坊主や脱会者の暗躍があった。 また「三大デマ事件」は、ブラックジャーナリストの内藤国夫が代表を務める「民主政治を考える会」などがデマチラシとして悪用。 その際、日顕宗法華講の連中が、権力の哀れな走狗(そうく)となって大量のデマチラシ配布に躍起になったのである。 これら一連の黒い謀略の発端には、所詮、学会を逆恨(さかうら)みした輩(やから)の醜(みにく)い愚劣な動機だけが浮かび上がってくる。 学会陥(おとしい)れの策謀に狂奔(きょうほん)した藤原広行しかり。自分の堕落が原因で信仰を失い、学会にいられなくなっておきながら、その責任を転嫁して学会を嘘とデマで中傷する脱会者しかり。 いずれにしても、自らの邪(よこしま)な私利私欲、単なる妬(ねた)みだけで平然と謀略をめぐらせるとは、まさしく、その人間性が完全に破綻(はたん)している証拠。 嘘やデマを社会にタレ流す「週刊新潮」の社会的責任も甚大(じんだい)だが、その陰に隠れて、したり顔でウソを吹聴して歩く悪意の連中の罪も深く重い。 そして何より、こうした低劣かつ愚劣な輩に付和雷同(ふわらいどう)して、結託した政治家がいたということ自体、この国の民主政治のレベルの低さを象徴するものと言って過言ではないのだ。 <3大デマ事件に暗躍した連中の顛末> *白山さん事件* 暗躍した藤原広行 札幌の日顕宗住職・藤原広行が“オレがマスコミにネタを提供した”と吹聴。 「週刊新潮」のゲラ刷りも入手。地元テレビでも大嘘発言 *東村山事件 暗躍した乙骨正生 日顕から追放された「正信会」の機関紙編集長だった変節漢・乙骨正生が 火つけ役に。はじめて自著まで出版し“メシの種”に *信平狂言訴訟事件 暗躍した竜年光 金と女に溺れた元都議・竜年光が「週刊新潮」に売り込み。狂言手記の 記者会見にも同席。その会場を申し込んだのは日顕宗。司会は乙骨正生 |