「創価学会被害者の会」の仮面を剥ぐ (4)
<1995/03/01 創価新報>


馬脚あらわす“被害者の会”代表・八尋由夫

馬脚あらわす“被害者の会”代表、八尋由夫氏
今になって左膝ではなく右膝の損傷だったと訂正


*裏目に出た「写真」と「診断書」の公表

 本紙(一月十五日付)で取り上げた、「被害者の会」の代表・八尋由夫氏が“ 被害”を偽装していた問題について、同会の機関紙『自由の砦』(二月八日付) が本紙に一部反論。「学会報道が大嘘であることを裏付ける貴重な証拠」として 同氏が片足にギプスをはめている入院中の写真と、これまで公表してこなかった 入院当初の診断書(別掲)を出してきた。ところが、これがかえって同氏側の首 を絞める、なんとも皮肉な結果となっている。
 まず第一に、この証拠を出したために、同氏がこれまで被害を受けたといって いた部位が間違っていたことが発覚した。
 同氏は、例えば、宗門が昨年七月に発行した写真週刊誌風パンフレットや 十一月一日付『慧妙』に登場し「左膝打撲云々」の被害を訴え、また十一月七日 に都内のホテルで行われた「被害者の会」の設立記者会見でも、自分の口で「 左膝打撲と左内側副じん帯損傷という重傷」と言ってきた。
 ところが、今回の写真を見ると、ギプスをはめているのは右足。また当初の 診断書にも「右膝打撲云々」と記されている。
 同氏は自分が“大ケガ”をしたという足が右か左かわからないほど耄碌( もうろく)したのであろうか。このことは、どう釈明しようと不自然さが残ろう 。『自由の砦』の姉妹紙である『慧妙』でさえ、見るに見兼ねて入院当初の 診断書の「右」の字を作為的に削って掲載したほどであった。この一事をとって も同氏のいう“被害”がいかにマユツバであるかがわかろうというものだ。


*ギプスを壊すほど“元気”だった右膝

 第二に、八尋氏側は、被害を受けた部位の訂正という大きな代償を払っても、 足にギプスをはめていた事実と入院当初の診断書を公表することで、「事実は、 “打撲と側副じん帯損傷により、二週間の治療を要する”との診断を受けて入院 、入院中は石膏のギプスで足を固め、治療を受けていたのである」(『自由の砦 』二月八日付)との主張が立証されると思っているようであるが、これが全くの 目算はずれ。
 まず、当初の診断書のどこに、「打撲と側副じん帯損傷」と書いてあるのか。 病名は「右膝打撲内側側副靭帯断裂疑(うたがい)」とあるように、あくまでも 「疑(うたがい)」である。逆に言えば「八尋氏に外傷は全くなかった」という 本紙が病院に近い筋からの情報で確認した事実を裏付けているのだ。
 同情報によれば、八尋氏が外傷はなくても痛いと言い張り、入院を希望するが 、単なる打撲では入院させられないので、つけた病名が「断裂『疑』」であった ということらしい。
 また、「二週間の治療を要する」というのもスリカエで、診断書の記述は「 二週間の安静治療と観察を要する」つまり「二週間、安静にして様子をみましょ う」というもので、これも「入院中、これといった治療はなかった」という本紙 が確認した事実と一致する。
 では、同氏がはめていたギプスは、いったい何か。それは、安静にしていなく てはならないはずの同氏が、痛いという割りには動き回り、じっとしていないの で、入院後二、三日たって膝の固定のために着けたものである。
 ところが、同氏はギプス装着後もじっとしておらず、普通ではありえないこと だが、四週間後にはずす予定のギプスが二週間余りで壊れてしまい、“それなら もう、ギプスをするのはやめましょう”ということになったというのが実情であ る。同氏の右膝は、壊れるはずのないギプスを壊すほど“元気”だったのだ。
 つまり、同氏のギプスは、本格的治療を受けていた証拠どころか、ギプスをし ていないと安静状態が保てないほど元気であった証拠なのである。
 もはや、八尋氏の偽装被害を弁護しようとすればするほど、かえって墓穴を掘 ることになる。「被害者の会」は、この「同会の設立趣旨にも関わる」という、 代表・八尋氏の“被害”が偽装だったという不祥事の責任をとって、即刻、解散 するべきであろう。



 八尋由夫代表
 入院当初の診断書(平成3年4月15日付)。病名には「断裂『疑』(うたがい )」、「2週間の『安静治療』と『観察』を要する」と記されている