◆虚構のメディアを斬る 7 カメレオン男・乙骨クンの正体その1 神林富夫 <1994/07/06 創価新報>


“カメレオン男・乙骨クン”の正体 パート1
フリーライター:神林富夫

“無節操な「売文屋」”(段勲)の“コピー人間”(乙骨正生
誰でもなれる“イカサマ・ジャーナリスト”!!

『週刊文春』1月6日号
「創価大学出身官僚・政治家・マスコミ人全リスト」
プライバシーや信教の自由の侵害を棚上げ
乙骨クンは母校と同窓生まで売り歩く良心を捨てた寂しい「元・学会員」



 創価学会を中傷する悪意とデマに満ちた週刊誌記事が、相も変わらず垂れ流され続けている。その根拠なき、お粗末な内容たるや、言わずもがなである。
 内藤国夫、段勲、乙骨正生ら、お馴染(なじ)みのエセ・ジャーナリストたちは、火のない場所にセッセと捏造(ねつぞう)した“怪情報=火種”を放火しては、「火事だー」と大声で叫び回る。更に、いくつかの週刊誌が取り上げて騒ぎが大きくなったところで、さも「事情通」らしき顔をして自らも署名で書き、放火の依頼主から厚顔無恥(こうがんむち)に報酬を受け取るのだ。
 こうした、彼らお得意の手口が世間に証明したことは、事実の裏付けを取って報道すべきジャーナリストとしての基本姿勢はまったく必要なく、ただ人間の良心を捨てさえすれば、誰だって“ジャーナリスト”になれるということである。これら学会バッシング・ジャーナリストを気取る“売文屋”の、いくつかのテクニックを列挙してみると…。

 一、まず、冒頭は学会バッシングのための“捏造のウワサ、怪情報、怪文書=火種”を仕掛ける。つまり「といわれる」「とささやかれている」「との話が関係者の間で語られている」「といった情報が流れている」などは、すべて、この類いである。

 二、前述のウワサ、怪文書を受け“もし、これが事実だとしたら”との仮定法に基づき、強引に“こんなことが許されれば社会的、道義的に問題だ”等と断定する。

 三、記事に真実味を持たせるため、「事情通」「関係者」「元学会員」といった、正体不明の証言者を仕立てる。

 四、それだけでは説得力に欠けるので、山崎正友、竜年光らの反逆者、ダボハゼ評論家・学者らお馴染みの仲間たちの実名コメントを混ぜ、内容にハクを付ける。どうしても実名のコメントが取れない場合は、「学会問題に詳しい××」といった肩書をつけて、自作自演で自分がヌケヌケと登場する。

 五、発言の末尾では、「という説もある」「可能性もある」「かもしれない」「らしいんです」「否定できない」「もっぱらのウワサ」など、訴訟など万が一に備えてあらかじめ逃げを打つ。



 『週刊文春』五月二十六日号の記事などは、以上の条件をピタリと満たす好例である。「羽田首相は池田大作の密使か」と題した、この捏造記事のリード部分は、「なんとも気になる情報が飛び込んできた。先に欧州を歴訪した羽田首相は、池田大作創価学会名誉会長がローマ法王に宛(あ)てた親書を託されていたというのだ。……一国の総理がメッセンジャー・ボーイを務めるとは由々しき大事」と結ぶ。
 やはり、「いたというのだ」との伝聞・憶測の仮定に始まり、結びでは「由々しき大事」という断定に変質させている。そして、断定する根拠として、「信頼すべき複数の創価学会関係者」「学会の事情通」「公明党関係者」「複数の創価学会ウオッチャー」「公明党のさる事情通」「ある学会関係者」等々の匿名(とくめい)の証言者を仕立て、ダボハゼ評論家、学者、自民党代議士らお仲間のコメントで補強している。
 証言の末尾は、例によって「学会内部では言われているのです」「聞いているところでは……らしいんです」「どうやら……横ヤリをいれたらしいんです」「可能性は十分あります」等々のお決まり文句。この悪質週刊誌の“伝統”は十年一日のごとく全く変わらないのである。
 一応、関係者の証言を取った形にしているが、首相秘書官は「そのようなことはまったくない」、在バチカン日本大使館も「まったく関知していません」とのコメント。この時点で捏造の根拠は総崩れしているにもかかわらず、是が非でも捏造記事を成立させたい意図が見え見えなのだ。
 捏造の情報元と目される乙骨クンも、創価学会に詳しいジャーナリストとして登場しているが、彼のコメントも「私も学会内部からその情報を聞いています。今回の『親書』は、池田大作から小沢に、小沢から羽田に依頼されたものといいます」と、やはり憶測プラス捏造に終始している。

 最近、売り出し中の乙骨クン(本人だけがそう思っている)だが、彼は“創価学会に詳しい”と、マスコミに売り込むために自称しているだけで、書かれている記事を読むと、学会のことに精通しているなど、おこがましいとしか言えないほど情報の裏付けが乏しいのである。
 最近の事例を一、二、紹介しておこう。
 昨年の『週刊ポスト』九月三日号。これは、細川内閣の組閣の際、マスコミには事前に名簿が流されなかったのに、池田名誉会長がスピーチで公明党のポストを言い当てたと、やはり決めつけたものだ。
 記事では「これまでの“慣習”を破って、閣僚名簿を一切マスコミにリークせず、9日の新聞朝刊にスッパ抜かれないよう細心の注意を払った。結果、9日の紙面は、前例のないほど各紙バラバラの入閣予想が掲載されたのである」などと書いているが、各一般紙の入閣予想は、さすがに的中率が高く、決してバラバラな予想などではなかった。
 池田名誉会長がスピーチをしたのは、組閣前日の八月八日であるが、同日付朝刊で既に『読売新聞』『毎日新聞』などに、「細川内閣顔ぶれ固まる」と、公明党の予測ポストが一面トップ扱いで堂々と掲載されている。しかも、ポストも入閣者も一〇〇%、言い当てているのである。公明党からの入閣者は、新聞報道を通して国民の大多数が予測していた公然周知のことなのだ。
 「宗教ジャーナリスト」の乙骨クンがもっともらしく登場し、「公明党の人事権は池田氏が握っているんです……池田氏が閣僚名簿の内容を事前に知っているのは当然のこと」とコメントしているが、乙骨クンは、知っていて全くのウソをついているのか、一般紙にすら目を通さないほど不勉強なのか。いずれにせよ、ジャーナリスト失格ぶりを自ら暴露したも同然だ。

 これだけではない。『週刊新潮』四月七日号のコメントでは「学会では昨年十二月から衛星放送を中止。それ以来、大作の肉声はほとんど伝わってこなくなっていたのです」と、めずらしく断定した。しかし現実には、十二月以降、一月七日、二十日、三月五日、二十一日と名誉会長のスピーチの衛星放送は行われているのだ。
 彼は「学会問題に詳しい事情通」でもなんでもない。「一時期、学会員だったことがある」というに過ぎない。彼が経験して知っていることと言えば、かつて通った創価中学、大学の当時のことぐらい。しかも、今から十五年以上も前の話なのだ。「創価大学OB」という肩書を利用しては、世話になった母校と同窓生を売り歩く“売文屋”であり、セッセとデマ情報・記事を三流週刊誌紙各社に持ち込み、“汚れた汗”をかいている。
 その代表的な記事が、『週刊文春』一月六日号。これは、「創価大学出身官僚・政治家・マスコミ人全リスト」という、人権侵害の極致ともいうべき特集の怪情報を持ち込んだものだ。

 この『週刊文春』の大逸脱に対して、「信教の自由」を侵害する行き過ぎた行為になる恐れがあると批判したのが、『朝日新聞』一月十三日付夕刊一面の「窓−−論説委員室から」の欄だった。思わぬところから正論を主張され、乙骨クンは余程悔しかったのだろう。一月二十七日号の『週刊文春』で、ついに彼は、捏造情報を提供する“ジャーナリスト”として躍り出る。
 その記事には「創価大学出身ジャーナリストが朝日論説委員を叱る」と、たいそうごう慢な見出しが掲げられ、しかも顔写真入り。特に笑えるのは、顔写真下の「乙骨正生」の文字が、やけに大きいこと。しかし、“華々しいデビュー”を飾ったものの、内容は虚しい感情論と“伝統的”なデマ記事をタレ流しただけに過ぎなかった。
 朝日論説委員をどう叱るのかと言えば、あからさまなプライバシー侵害、信教の自由に対する自らの侵害を棚上げし、「信教の自由を尊重することに異論はない」が、「『ファシズム』を作り出すことにつながりはしないか」と、お得意のスリカエ。揚げ句の果てには「朝日新聞はいつから創価学会の応援団になったのか」と、感情的に開き直るありさまなのである。
 創価大学出身というだけでリストを作り公表する「バッシング」と、ユダヤ人というだけで“ダビデの星”をつけさせて迫害するなどの「ファシズム」と、どこが違うというのだろう。法学部出身のはずの彼には、その程度のこともわからないのだろうか。軽薄な“イカサマ・ジャーナリスト”に、創価大学出身の肩書を利用されている大学こそ、いい迷惑だろう。

 乙骨クンの「公務員にも『信教の自由』『思想信条の自由』は許されている。が、だからこそ、同時に、『政治的中立』の義務も厳しく課せられる」との言葉を借りれば、「乙骨クンにも“言論の自由”『思想信条の自由』は許されている。が、だからこそ、同時に、(マスコミ人としての)“公正中立”の義務も厳しく課せられる」のだと言っておきたい。


 以上、創価大学出身ジャーナリスト乙骨クンの“売文”の手法を少々、見てみれば、“イカサマ・ジャーナリスト”になる道は誰にでも開けていることが分かろうというもの。人間としての良心さえ捨てればいいのである。
 「事実」の裏付けをすることは、ジャーナリストとしての最低のモラルである。その事実に裏付けられた報道もできず、中立性も良識もない乙骨クンを、麗々しくジャーナリストとして扱う各紙誌の責任は極めて大きい。
イカサマ・ジャーナリストが書いた捏造記事を社会に垂れ流し、金を取るなど社会的背信行為である。いや、悪質なデマゴーグである。
 ジャーナリストとしての能力、品性のかけらもない乙骨クンだが、ここまでたどり着くには、やはり“先輩”が必要だった。それが、段勲である。段については本紙五月四日、十八日号に詳述されているが、彼の特徴は何といっても、三流週刊誌で御用達の“ニセ情報屋”であり、変節また変節を繰り返してきた信念なき「売文屋」という点に尽きる。

 後輩の乙骨の成長ぶり(?)に負けてはならじと、得意の連係プレーを象徴する記事が、六月二十三日付の『夕刊フジ』と『ゲンダイ』に出ている。
 『夕刊フジ』では、「創価学会 宗教戦争停戦」との、これまた、たいそうな見出しを大きく躍らせ、六月十六日付『聖教新聞』一面で報道された「6万登山粉砕で大勝利宣言」との秋谷会長談話をもとに、「つまり、すでに勝利したのだから、もう参拝については勝手におやりなさい−−という停戦宣言とも読み取れる」と、これこそ“勝手”な解説を加えているのである。
 そして、段が学会ウオッチャーとして「国会でも、亀井静香代議士が質問している。行きがかり上、やめろと言うわけにいかないのでブレーキをかけようという狙いでしょう」とコメントすれば、『ゲンダイ』では、“学会に詳しいジャーナリスト(自称)”の乙骨クンが登場し、「最近の国会で、自民党が学会による反学会への“人権侵害”をバクロしました」と、段と巧みに言い分けたコメントを寄せる。
 ここからも、段、乙骨の“先輩・後輩コンビ”の連係プレーで、それぞれ『夕刊フジ』『ゲンダイ』に、仕掛けた“火種”を持ち込んだことが読み取れる。最近ではとうとうネタも尽き、情報源も尽きたのか、『聖教新聞』にネタを求めているのだから、内部情報に詳しいも何もあったものではない。

 段が書いた「池田大作創価学会名誉会長の欧州『ノーベル賞獲り』旅行」とのタイトルを掲げた『週刊ポスト』七月一日号など、その典型というべきだろう。
記事のほとんどが『聖教新聞』で報じられた内容で作られ、それに相も変わらぬ捏造手法をくっつけたものに過ぎない。
 さすがに編集者も困り果てたのか、立てられた見出しも「ギネスものの池田・名誉博士号」「5か月で3つの勲章はエライ」と、バッシング記事のはずが、逆に持ち上げるような内容になっているのだから、これはもうパロディーというほかない。
 それにしても、もっともらしいウソのネタも尽きたのか。『聖教新聞』をネタに使うとは、お気の毒としかいいようがない。しかし、段にしても乙骨にしても、なぜ、ここまで平気でインチキ記事が書けるのか。
 次号では、エセ・ジャーナリストの仲間入りをした、乙骨クンの変節また変節の無節操な“カメレオン人生”から、その辺りの事情を、事実の裏付けをもとにじっくり研究していきたい。ジャーナリストとして身を立てようとする乙骨クンには、ぜひ、参考にしていただきたいものである。

*三流週刊誌の“デマ記事”テクニック
 (1)“怪情報、怪文書”を仕掛ける
 (2)“もし〜ならば”の仮定で、強引に断定
 (3)「事情通」等正体不明の人間の証言を多用
 (4)反逆者らの実名コメントで補強
 (5)「可能性もある」「かもしれない」と逃げを打つ