裁かれた“コメント屋”乙骨を斬る(7)<2002/11/20 創価新報>

裁かれた“コメント屋”乙骨を斬る 第7回

ガセネタ屋・乙骨 また中国から謝罪要求!

日中友好に泥を塗るデマが大顰蹙

3大デマ報道と乙骨

●東村山デマ事件

取材もろくにしてない“ガセネタ本”で大恥

●白山さん冤罪報道事件

新潮社に110万円の賠償命令 人権侵害に厳しい判決  

●信平狂言訴訟

100万件に1件の「訴権の濫用」で悪辣な謀略は木っ端微塵!

中国企画の展示会を侮辱  

 日中友好に泥を塗る黒道記者(ブラックジャーナリスト)――。乙骨のたび重なる中国に対する侮辱記事に、またしても厳重抗議の文書が送られていたことが、このほど明らかになった。

 これは、「FORUM(フォーラム)21」なる雑誌の中で、乙骨が自らの署名記事で、中華文学基金会を中傷したことについて、同基金会が、乙骨に対して厳正に抗議し、公開陳謝を求めたものである。

 先に、中国・遼寧社会科学院からの謝罪要求に次ぐもので、乙骨の黒道記者ぶりは、いよいよ中国各界に知られ、アジアの鼻つまみ者になる日も遠くないだろう。

 今回、問題になったのは、「フォーラム21」第15号(2002年10月1日発行)の「日中国交回復三十周年 親中派・創価学会は何をしてきたか」という特集記事の一部。この中で乙骨は、本年9月に北京で行われた、「池田大作詩歌書画撮影展」に難癖をつけ、この展示会を企画・主催した中華文学基金会を、何の根拠もなく侮辱したもの。

 乙骨の記事では、この「詩歌書画撮影展」があたかも、中国の書家、画家らが、学会側から宣伝目的のために無理矢理やらされたかのように中傷している。

 抗議書では「中日国交正常化三十周年に際し、貴誌が斯くの如き侮辱に満ちた不実の文章を発表すること自体、池田大作氏への侮辱であるのみならず、中華文学基金会並びに中国人民に対する侮辱であるに他ならない」と厳しい糾弾の声をあげている。

 遼寧社会科学院からの抗議に対して、乙骨が謝罪したという話はつとに聞かない。今回も、ダンマリを決め込むつもりかどうかは知らぬが、あまりに無責任な報道姿勢が、いつまでも許されるはずはない。

最高裁またデマ市議を断罪 

 メディア界に大きな汚点として印された「三大デマ報道」――東村山市議転落死事件にまつわるデマ報道、北海道の学会員・白山信之さんへの冤罪報道事件、そしてあの忌まわしき信平狂言訴訟事件。こういったデマ事件の陰に、常に徘徊しているのが、乙骨だ。

 この連載でもすでに触れたが、乙骨が、ろくな取材もせず、人の死を食い物にした「怪死」なるガセネタ本まで出し、デマを撒き散らしていった「東村山デマ事件」について、このほど最高裁判所から相次いで学会側勝利、デマ市議らを断罪する判決が下った。

 東村山市議(当時)朝木明代の転落死(1995年9月)について、あたかも学会が関与していたかのごときデマ報道を流した「週刊現代」の発行元である講談社と朝木大統・直子に対して、最高裁は先月29日、謝罪広告の掲載と損害賠償金200万円の支払いを命じた東京高裁の判決を支持し、講談社、朝木親子の上告を棄却する決定を下した(本紙前号に詳報)。

 さらに、今月8日、このデマ報道を厳しく粉砕した聖教新聞等の報道を名誉毀損であるとして、朝木親子、矢野穂積・東村山市議が創価学会を相手取って起こしていた裁判で、最高裁第二小法廷(梶谷玄裁判長)は、朝木・矢野側の上告を棄却。朝木・矢野側の敗訴が確定した。

 一連の最高裁判決に対する乙骨の“コメント”を聞きたいものだが、この「東村山デマ事件」をめぐる裁判は、これまでに確定したものすべてが学会側の完全勝利に終わっており、このデマを先導して、荒唐無稽な学会中傷を続けてきた乙骨の責任は極めて重い。通常のジャーナリストであれば、とうにマスコミ界追放であろうが、悪意のブラックジャーナリズムにとって、乙骨は便利なコメント屋に過ぎないので、その内容の信頼性など、はなから問題にされないのだろう。

 しかし、架空の事件をでっち上げ、スキャンダラスに、あたかも何かがあったかのように垂れ流す。乙骨のこのような甚だしい人権侵害の常套手段は、断固、糾弾されるべきである。

事故デッチ上げる言論の暴力

 94年7月21日、北海道胆振管内大滝村の国道で起きた、一件の交通事故。乗用車が運転を誤ってセンターラインを大きく越え、対向車線を走ってきたトラックと衝突し、乗用車の運転手は死亡。トラックを運転していた被害者、白山さんは重傷を負った。

 現場検証にあたった地元の伊達警察署は、事故の原因は全面的に乗用車側にあると断定し、保険会社も、白山さんの過失割合をゼロ、相手側を100と判断した。

 ところが、「週刊新潮」(同年9月1日号)は、この「事故」を無理矢理「事件」に仕立て上げたのだ。「大石寺『僧侶』を衝突死させた創価学会幹部」とセンセーショナルな見出しをたて、死亡した運転手が日顕宗寺院の住職であり、被害者の白山さんが学会員であるということをことさらに取り上げ、学会と日顕宗との対立を背景とした「偽装事故」であるかのごとく報じたのだ。

 暴走運転に巻き込まれた被害者の白山さんが、「週刊新潮」の悪意に満ちた本末転倒の記事で、“人殺し”扱いされてしまったのである。

 白山さんは新潮社を相手取り、損害賠償請求の訴訟を起こし、一審の札幌地裁では96年12月、記事が名誉毀損にあたることを認め、新潮社に110万円の賠償金支払いが命じられた。翌年9月、二審の札幌高裁も一審判決を全面的に支持。最高裁も上告を棄却し、新潮社側の完全敗訴が確定している。

 しかし、この事件は、もっと別の意図を持って仕組まれ、悪用されていたのだ。

 94年10月11日、自民党の川崎二郎議員は衆議院・予算委員会で、「週刊新潮」のデマ報道を取り上げ質問。この模様は国会中継で全国にテレビ放映され、白山さんに対する人権侵害は、容易に回復しがたい甚大なものとなった。

 実は、この川崎議員の質問のための資料づくりに深く絡んでいたのが乙骨だった。3流雑誌にデマを売り歩くだけでは飽きたらず、学会叩きのために、国会という場で公権力を悪用した人権侵害を策謀していたのだ。

 裁判所の法廷でデマ報道のウソが明らかになり、川崎議員は自らの過ちを認め白山さんに謝罪。「週刊新潮」も損害賠償金を支払った。しかし、乙骨は何の謝罪すらしていない。全くもって、卑劣な男である。

裁判長逆恨みの間抜け   

 今や、「訴権の濫用」のモデルケースとも言える「信平狂言訴訟事件」。

 96年、北海道在住の信平信子と夫・醇浩が、学会のイメージダウンと金銭を目当てに、全くの事実無根の事件をデッチ上げ、これまた「週刊新潮」が捏造記事を連載。そのデマを使って損害賠償請求の訴訟まで起こしたという、前代未聞の謀略事件である。

 この裁判は、00年5月、一審の東京地裁が、信平の訴えを100万件に1件と言われる「訴権の濫用」の法理を適用して「却下」。翌年1月には東京高裁、6月には最高裁ともに、一審判決を支持し、信平側の完全敗訴が確定している。

 普段は陰で蠢く卑怯者の乙骨が、この事件では目立ちたがり屋の本性を発揮して、デマ事件の冒頭から姿を現していた。

 96年2月、信平が狂言手記を「週刊新潮」に「発表」した直後の記者会見で、乙骨は司会進行役として、あたかも「関係者」か「身内」のような顔でしゃしゃり出ていたのだ。

 記者会見の席上、「どうして、(手記の発表を)『週刊新潮』にしたのですか?」との質問に対し、信子は「主人が、龍年光さん経由で乙骨さんを紹介されたので……」とあっさり、内幕を暴露してしまった。

 狂言訴訟の控訴審が結審しようというその日に、最後の最後に信平側が悪あがきをして「証人申請」してきた人物も乙骨だった。

 この醜悪極まる事件の、まさに“ゆりかごから墓場まで”、乙骨は絡みきっている。

 当然、悪辣な陰謀は、裁判長にすべて見抜かれ、「訴権の濫用」と断罪。乙骨・信平ら、反学会の悪の構図による悪巧みは、木っ端微塵に粉砕された。

 判決では「本件訴えは、その提起が原告の実体的権利の実現ないし紛争の解決を真摯に目的とするものではなく、被告に応訴の負担その他の不利益を被らせることを目的とし、かつ、原告の主張する権利が事実的根拠を欠き、権利保護の必要性が乏しいものであり、このことから、民事訴訟制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠き、信義に反するものと認めざるを得ない」と完膚無きまでに論破されている。

 しかし、乙骨はそんなことでは全く懲りない。判決を真摯に受けとめようなどという殊勝な気持ちなど、かけらも持ち合わせていない。それどころか、「〜裁判官の『挙動不審』」などと銘打った「週刊新潮」の記事に、呆れたコメントを寄せ、“裁判長が学会の圧力に屈して逃げた”と言わんばかりの、明らかに逆恨みの惨めで間抜けな批判を展開。人格攻撃まがいのコメントで裁判長を罵倒し、裁判の引き延ばし工作に寄与しているのだ。

 その後も乙骨は、自らのいい加減なデマコメントが名誉毀損として学会から訴えられると、逆に判で押したかのように「訴権の濫用」だと言って、悪あがきを続ける。当然、そんな愚にも付かぬ反論を、裁判所が聞き入れるはずもなく、乙骨は裁判で連戦連敗の体たらく。騒げば騒ぐほど、程度の低さを露呈し、自らの小物ぶりをさらけ出す。まことに滑稽の極みである。

 乙骨の如き、メディアを使い、権力を使い、人権侵害のデマを撒き散らす輩は、人々を不幸へと導く元凶である。小物であるが故に、見落とすことなく、徹底的に駆逐せねばならない。